京の町屋のはかりごと。

京の町家の
京の町屋のはかりごと。

花散らしの雨が降る京都の街並みを眺めながら、ふと、遠い日のことを思い出す。
当時、父の仕事の関係で、神戸から京都に移り住んだのが7歳のころでした。
車窓から見る景色は、春にも関わらす薄墨を溶かしたような曇り空、今にも雨が降り出しそうな
気配であった。
右手に小さなカバン、背中に青いリュクを背負い、三条京阪に降り立ち、高山彦九郎像を見上げ
ると、冷たい雨が目に入ってきた。

「このオッちゃんなんで正座やねん・・・」

実は泣きたい気分であった雨が涙を隠してくれていたように思う。
京の街並みは春爛漫にも関わらず、小雨が降り続き、風にあおられて花弁が宙に舞うが如く路面
に落ち一面が薄桃色に染まっていた。

住居は左京区岡崎であった、近くに平安神宮、京都会館、美術館、勧業会館などの周りを遊び場
として少年時代を過ごしたのである。

新しい家であるがその作りは町家然としている。

さて、タイトルの「京の町家のはかりごと」であるが、ある時、法事があるとのことで、山科の
叔母の家に行った時のことである。
叔母の家は、慶応以前に建てられたと聞く。
町屋にしては新しい家であるがその作りは町家然としている。

季節は、夏、暑い盛りのお盆であった、親戚一同が集まり法要ののち、叔母がスイカを切ってく
れ皆でカブリついていた時、叔母から父の若いころの話を聞かされたのである。

「兄はとてもお洒落なひとやったょ」と、叔母はいつも父のことを「兄」と呼ぶ。
「あんたもマアマアやけどな」と叔母。
「そうですか、若いころヤンチャやったんとちがいます?」と冗談交じりに聞くと、
叔母は、「そうやね、けっこう泣かさはったひとがようさんいたわ」と口元を手でかくしながら
言う。
調子にのって、「何人ぐらいその泣かさはったひといたん?」と聞くと。
叔母は「そんなことあんたによう言わんわ」と言いつつ、スイカの皮を集めてお盆に乗せて
お勝手に引っ込んでしまいました。

私は、ひとりごちて「まあええわ、とりあえず遊び人やってことは知ってるしな」

暫くして、仕出し屋さんから、お膳やお椀が運ばれてきて、食事となって、皆もお酒をいただき、
いい気分になってきた頃、叔母のもとにお銚子もって伺うと、叔母も目元がほんのりと朱色に染
まりご機嫌がいい。

ここぞとばかり、父の話を切り出した「とりあえず遊び人やってことは知ってるし、その話はえ
えわ」「あのなぁ、叔母さんお父さんの洋服や小物が一杯あるんやけどどうしょうかなぁ・・・」
「洋服なぁ、あんたが着れるんやったら使ったら」 盃を運びながら皮肉交じりに叔母が言った。
「せやけど、あんたとサイズが違うわな、兄はもうチョット背が高かったから」
私が、「ええわ、いらん、デザインが古臭いように思うんやけどな・・・」

「実はええ紺ブレが二着あった、ボタンは銀やったし、それはもうといたけど」
叔母から「あの紺ブレは満州に居たころ、腕に良い英国人デーラーにビスポークさせたんよ、
あの銀のボタンは宝飾店にオーダーしたものよ」と聞かされました。

驚いた私は「何で叔母さん、そんなこと知ってるの」と聞き返しますと。
「兄と一緒にオーダーしにいったから、その帰りには甘味処で美味しいもん奢ってくれはったわ」
「なんや、そやったんか・・・ついでに聞くけどアノようさんあるネクタイしってる?」と問うと。
「舶来品ですやろ、ようさん持ってはったわ、それを締めてヤマトホテルに出入りしてはった」
叔母から聞かされる話は驚きの連続で、私の知らない父がそこにあった。

「では、それでお願いする、一本でいい、残りは捨ててくれ」

私が、父の総絞りのボウタイの話をしたとき、叔母は驚きもせず
「ああ、あのネクタイの事、話を聴きたい?・・」と盃を口に運びながら聞く、酔っているようだ。
「別に聞きたくもないわ」と云うと、叔母が「教えたげる」いうなり語り始めた。

大連に居た頃、芸妓の小糸さんという方と恋中だったようだ、叔母が言うにはとても色白な美人
であったと云う。
ある時、小糸さんが「引かされる」というはなしになったそうだ、父はとても悩んだ末、妹である
叔母にも相談したそうだ。

叔母は別れたほうがいい、相手は軍ご用達の商人やし、ここで抵抗しても兄の出世の妨げになるだ
けやし、損をすると必死に説得したらしい。

数か月して、叔母を通じて、小糸さんから「文と羽織」が届けられた。
それが総絞りの羽織であったそうだ。
兄は、その羽織をもって、テーラーを訪れ、ネクタイを作ってくれといったそうだ、テ―ラーの答え
は、「結び下げのネクタイでは生地が足らない、ボウタイなら作れるが?」と。

「では、それでお願いする、一本でいい、残りは捨ててくれ」と父は言ったそうだ。

私は、その話を聴きながら「なんてロマンチックな話だ、やるな親父も」とおもいつつ、何故、
ネクタイなんだ、と不思議であった。
酔った、少し飲んだので酔った、あまり酒は強いほうではない、調子に乗って飲んでしまった。
叔母の家を辞したのが、午後8時頃である、酔い覚ましに歩くことにした、夏とはいえ、京の夜風
は気持ちがいい、日ノ岡を過ぎ、蹴上げに向かう頃、ふと、思う、なぜボウタイなのか?父の気持
ちになって考えてみた。

「きっと、小糸さんといつも一緒にいたかったんだろう、だからネクタイにしたんだ。」
ボウタイを結ぶ、愛し人を首に巻く、いつも、いつも一緒に、どこに行くのも・・・そうなのだ、
あの、ボウタイ、そんな話があったんだと思うと、酒の酔いとともに気分が高揚したのである。

よし、何時か、何時の時か当時の趣のままのネクタイを作ろうと思ったのである。

まてよ、法事にいかなかったら、こんな話聞けなかった・・・・。

なぜ、叔母は何度も私に法事に来なさいといったのか、不思議だ。

ひょっとして、この話を喋りたかったのではないか。

ふと、気が付けば、三条通りを過ぎ、目の前が京阪電車の駅である。

京の夜空を眺めながら「本当のところ、父の話を私に喋りたかったのではないか。」
という結論に至った。

「謀られた・・・・」という思いと、

叔母の「して、やったり」という顔が目に浮かぶ。

京の町家のはかりごと ではないかと一人苦笑するのである。

署名

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