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ふつう女は男のネクタイを結ぶことが出来ない.

フランスの女性作家シドニー・ガブリエル・コレット(1873-1954)を写した 一枚の写真がある。それは1909年のことというから、コレット36歳の時だ。自宅の書斎で、手帳にペンでなにか書きとめている姿。白の、プリーツの美しいブラウス
を着て、ダークな色調のネクタイを結んでいる。襟は当時の紳士用に似て、固く糊づけされたスタイル。フォア・イン・ハンド・タイを結んだ、そのハード・カラーをとり囲 むように、パールのネックレスを散めているところがいかにも女性らしい。 コレットがパリの文壇に登場したのは、 1900年のことである。「学校のクローデヌ」は大評判となった。1909年、コレットの名は良くも悪くも有名であり、作家としても健筆をふるっていた。けれどもその一方で夜はパリのキャバレエで踊ってもいた。そのコレットが書斎 ではハード・カラーのブラウスにネクタイを結んでいるのだから、注目に価するだろう。
なぜネクタイを好んだのか。あるいは男装を好んだのか。コレットは男を愛することも でき、また女を愛することもできる女であった。このあたりがネクタイ姿の謎を解く、 ひとつの手がかりであるのかも知れない。男だからネクタイを結ぶ、女だからネクタイを結んではいけない、という法はないの で、どうぞお好きなようにと言っておこう。
けれどもコレットはその永い人生のなかで、 はやくからネクタイに親しんでいたことは間違いのない事実である。
「あんたったらいつになっても自分で服を着られないのね」/彼女はシェリの手からネ クタイをとりあげてむすんでやった。
「ほうらー でもすごい紫色のネクタイだわね 美人のマリ 「ロールとご家族さまにはこれで充分ですけどね それにしてもこ のうえに真珠をつけるつもりだったの?
まるで田舎の成り金ね いっそのことイヤ リングでもしたらいいのに」(コレット著、工藤庸子訳『シェリ』岩波文庫)

これはコレットが1920年に発表した小説の一節である。手短かにいえば、49 歳のもと娼婦レアと、20代の若者シェリとの恋愛物語。引用場面は、レアの部屋でシ
エリが服を着ようとするところ。ひと口に紫色と言っても様ざまだが、この場合にはお そらく明るく、大胆な色調なのであろう。
パールのネクタイ・ピンを刺したら、「田舎 の成り金」風になるというのだから。 ここでひとつのお酒落レッスンは、鮮やかな ネクタイにはネクタイ・ピンは省略すること、であるかも知れない。 ところでこの主人公、レアとシェリにモデルがあるのか否か、話題になったことがあ る。ついでながら『シェリ』が発表されたのは、コレット47歳の時。

もちろん今と なってはどうでも良い話であるかも知れない。が、私はレアにはコレットの姿が投影されていると思う。
ふつう女は男のネクタイを結ぶことが出来ないからだ。これは男と男の場合だってそうで、向き合って、相手のネクタイを結んでやるのは、えらく骨が折れる。
自分では結 べるけれど、相手のは結べない。それがふだんネクタイを結ばない女となると、難しさは決定的となる。御用とお急ぎでない方は、 一度実験してみるがよろしい。
諸君の奥方 はきつと諸君のネクタイは結べない。

ところがレアはシェリのネクタイが結べた。いとも簡単に。ということは日頃から結 ぶことに慣れていたからに他ならない。
だからレアはコレット、と断言するわけではないが、少なくともコレット、男のネクタイを結んでやったことがあるはず。

ディートリッヒの一家言

しかしネクタイを結んだ女性はなにもコレットが最初というわけではない。
コレット よりもざっと七十年ほど前のパリに、やはり男装の女性がいた。


ジョルジュ・サンド
(1804-1878)名前からして男装で、本名はオーロール・デュパン。
1831年 にパリに出て、女人禁制の場所に入るためにも男装は便利だった。そのため紳士服ひと 揃えを仕立てさせている。ただし当時はクラヴァットの時代で、厳密にはフォア・イ ン・ハンド・タイではなかったのだが。
もちろんフランスの女性ばかりがネクタイを結んだわけでもない。イギリスにはマーゲリート・ラドクリフ・ホール(一八八六ー一九四三)がいる。ホールは女性作家で、主として女が女を愛する小説を書いて有名になった。そして彼女自身、常に男性用のスーツを着て、当然シャツにネクタイを結んだのだ。髪もごく短く刈上げていた。
このように眺めてくると、レスビエンヌと男装(ネクタィ姿)とがどこかで結ばれて
いるようにも思えてくる。私自身、「どうして女に生まれて来なかったのか」と不思議
に思うことがある。ということはこの広い世の中に、「どうして男に生まれて来なかっ
たのか」と疑問を抱く女性もまたいるだろう。
その場合ネクタイは、東の問、男を演じる
ための恰好の小道具であるのかも知れない。
一本の細長い布で心の隙間を埋めてくれる
のなら、それはそれで良いではないか。
一方、衣裳として男装をする女性もいる。たとえば女優のマルレーネ・ディートリッ
ヒ。黒のイヴニング・コートに白い蝶ネクタイ姿はご記憶のことであろう。
ただしディートリッヒ自身は次のように言う。

山高帽とえんび服を着て舞台に立ったのは私が最初だと書かれることが多いけれど、
ヴェスタ・ティリーやエラ・シールズが私より何年も前に最初にその格好でやっていま
す。(マレーネ・ディートリッヒ著、福住治夫訳『ディートリッヒのABC』フィルムアート社)
ヴェスタ・ティリーもエラ・シールズも戦前に活躍した女性コメディアンのことであ
るらしいが、私は知らない。ただしディートリッヒの場合、私生活でも時として男装を
することがあったので、これはいったいどう考えるべきなのか。そして事実、ネクタイ
についても一家言持っていた。
《あなたの妻には、自分のタイは自分で選ぶものだということを教えておくこと》(前掲書)
この意見は私も正しいと思う。
一般に女性がネクタイを選ぶ時は、ネクタイの寿いか そのものを見る。ところが男は、Vゾーンでの調和を考えるからである。けれどもその ことを充分弁えていたディートリッヒは、やはりスーパー・ウーマンであったわけだ。
つまり男を愛せ、女をも愛せたという意味で。

出典:出石尚三 箸「男はなぜネクタイを結のか」

 

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